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二次元のスプライト機能を三次元に展開する空間技術を開発すること。
リアルタイム三次元コンピュータグラフィックス・エンジンとテクスチャ・マッピング技術の開発。
それによって二次元と三次元の統合を果たす」とあり、この時期、Kが明確に独自路線を深めていたことが分かる。
なぜ、Kはそれほど、自らの技術に自信を持っていたのか。
それは三次元技術への自信である「CD-ROMを使ったら、どんなコンテンツの表現ができるかを、徹底的にシミュレートしたんです。
当時のゲ-ムソフトは、『スーパーマリオ』や『ドラゴンクエスト』のような二次元の画像表現でしたが、システムGを見た八0年代中頃から、いつの日か家庭で三次元コンピュータグラフィックスができないかと夢見ていました。
リアルタイムの三次元コンピュータグラフィックス・エンジンとCD|ROMとを組み合わせたら、どんな映像ができるのか、これが新しいエンタテインメントに進化するのではないか、と」。
Kの考えの特徴は、技術をいかに応用し、新しい形として展開するかというところにある。
システムGとの避遁を経て、もともとのコンピュータグラフィックス好きという趣味の領域を、さらに精力的に追求していった。
自ら、積極的にその世界に飛び込むことで、新しい進路が見え、それが先見につながっていった。
当時、コンピュータグラフィックスのアーティストは恵まれない環境にいた。
将来はコンピュータグラフィックスで映画を作りたいという希望を持っていても、九0年代前半の技術ではなかなか難しいとして、とりあえずCM制作を続けている向きも多かった。
折しも、専門雑誌『ピクセル』誌の大賞をとった人などが優秀なアーティストとされていた。
そのアーティストと初めて会ったとき、Kはこう言った。
「近い将来、ゲ-ムはコンピュータグラフィックスになるよ」。
すると、そのアーティストは「本当ですか?」と目を輝かせた。
どちらもSFが好きだから、酒を飲み交わしながら、「こんなことができたらいいね、あんなこともしたいね」と、イメージトレーニングに励んだ。
「この時、優秀なアーティストたちとミーティングを繰り返したことが、後のプレイステーションにとって、非常に重要なアイデアのベ-スとなりました」とKは語っている。
当時、日本には一〇〇人程度のコンピュータグラフィックス・アーティストがいたが、Kはそのなかの二〇人程度と接触をしていた。
ここでのKの三次元グラフィックスへのこだわりは、これまで述べてきた、個人的なコンピュータグラフィックス好きという趣味の領域というだけでは説明できない。
Kはこの頃になると明確に、戦略的に三次元技術をどう使うかという発想を持つようになっていた。
当時の噂では、セガは三次元技術を次々世代でやると噛かれていた。
そうであるならば自分たちが次世代で三次元技術を採用し、一気に優勢に立つという戦略も十分成り立つのではないか。
二次元の世界でずっとやってきたゲ-ムのパラダイムを一気に変えることで、ソニーにとって有利な状況を作り出す。
そして何より、「他人と組むから、こんなことになる。
同じ苦労をするなら、独自で一気に三次元の世界を作り上げよう」という思いも濃かった。
システムGとの湛遁に始まるソニーの三次元技術への自信が、Kのバックボーンであった。
ITと机を叩いたOは、それに賭けたのだ。
今、Kは、あの「DOIT!」について、こう述懐している。
「O社長の怒りのエネルギーを起爆剤に、プレイステーションはスタートしたんですよ。
非常に冷静に考えるならば、ソニー独自のゲ-ム機進出はNOと言われたかもしれない。
ところが、任天堂とのごたごたで、任天堂から顔に泥を塗られた怒りが、ものすごかった。
我々はそのエネルギーを、すべてがプラスの方にいくように持っていったんですね。
これは強烈でした。
それがソニーという会社の直情径行な部分ですよね」。
「どうしてもこのゲーム機をやろう」というOの強い意志「怒り」を上手く利用された格好となったOは、そのことについては、まったく不快に思っていない。
それどころか、Kのヤツがあんなことをやって・・・と目を細めるのだ。
「任天堂が、K君の背中を押したことは間違いありませんね。
あの事件がK君をあそこまで燃え上がらせました。
極めて強力なドライピングフォ-スでした。
任天堂としても、ソニーがここまでやるとは、思わなかったに違いありません。
私にとっても後ろから切り付けられたのだから、その怒りが原動力になりました」。
それにしても、なぜOは「DOIT」と叫んだのだろうか。
「私には極めて強い意志がありました」と、Oが言う。
「Kのアイデアに強く印象付けられ、このビジネスは、是非とも成功させなければならないと思いました。
これは単なるゲ-ム機ではなく、。
、グラフィックスコンピュータ。
なんです。
任天堂のゲーム機とはまったく次元が違うものです。
一北旦別には何千万円も出さなければ手に入らなかったものと閉じ性能が数万円で買えるなら、これは是非押そうと。
もう一つ、ソニーのコンピュータはMSXをはじめとして失敗ばかりでしたからね。
私としては、AVに並ぶもう一つの柱を作りたかったのです。
それに、私は経営責任者として最大の支援者でありたかった」。
経営者の判断は、単にビジネスプラン上の優劣だけでは、決せられない。
その実行者がどんな人聞かを見てGOか、NOかを決めるのが経営者としての判断だ。
OはKのアイデアの可能性を見抜いただけでなく、この男ならと信じたのである。
Oはこの間、一貫してKのサポートに回った。
ソニー社内の世論としては、ゲ-ムなんかやるべきではないという声が強かった時も、「Oさんはゲ-ムをやめろとは一回も言わなかった」と、Y茂雄(現・SCEI副会長兼ソニー・ミュージックエンタテインメント[SMど]社長)は証言する。
「苛決断」ということで言うと、本当に決断したのはOきんですよ。
Kの場合は、決断というより思い込みですね。
それに一介のエンジニアに過ぎませんからね。
Oのプレイステーションへの傾斜を物語るエピソードには、事欠かない。
後に、プレイステーションが発売されてから一年間というもの、メモリ不足と価格高騰で入手がかなり困難になった。
折からのウインドウズ・ブ-ムで、メモリはどこも逼迫していたためである。
Oはメモリ調達役を自ら買って出て、エレクトロニクス業界での人脈を活かして盛んに半導体メーカ-に電話をした。
「ところがあまりに量が多いので、相手も恐れをなし、担当常務がソニーの私のところまで会いにきたことがありました。
なんでも、プレイステーションへの発注量は、その会社のメモリ生産の三三パーセントを占めるというんですね。
担当常務氏は、司大量受注は嬉しいんですが、もし何かのアクシデントでこの受注が取り消された場合、ウチとしては大打撃になってしまいます。
だからこの保証を会社としてお願いしたい」と言ってきた。
それに対し私は、会社としてはできないが、個人として保証しましょうと胸を叩きました」。
たいした度胸ではないか。
Oのサポートは、明らかにプレイステーションの成功の一部を形成している。
「K君は才能がありすぎるんです」Oは言う。
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